幼い時から心が落ち着く乗り物であり、大切な友達

僕が幼い時分、なかなか泣き止まない時は車に乗せて家の周りを走ると泣き止んでいたそうな。
物心付いたときには、割り箸と画用紙で手作りのハンドルを作り、ティッシュ箱と割り箸とピンポン玉で、マニュアルギアを作って、父親が車を運転する時は助手席に座って、運転を真似していました。ボディコーティングを新車にした。ボディコーティングは新車時が理想といわれるのは傷がとにかくついていないから。しかし、ディーラーさんから洗車傷をつけられるというかのうせいもあるらしい。中古車にボディコーティングをすすめるが、中古車は研磨をしてからボディコーティングをしよう。
そんな幼少期を過ごしたので、車が本当に好きで好きでたまらなかったです。
そんな僕が、18になったときに、アルバイトでお金を貯めて、免許を取り、車を購入できるくらい貯めに貯めました。
そしてどの車を購入しようか?と色々と迷っているときに、大きな事件が起きてしまいました。
阪神淡路大震災。
車どころではなく、生きていくことで精一杯の日々。
車の事を忘れて、食料や水の確保、そしてアルバイト先の確保に走っていました。
なので、18歳で車の購入は出来ませんでした。
その後、色々とあり、車の購入を見送っていました。
そんな僕も家庭を持ち、子供が産まれた時にようやく自分の車を購入出来ました。
初めての車はMAZDA。
実は父親も同じようにMAZDAだったようで、後で知った時に親子だな。と思いました。
中古で購入して、今年で6年目。
元気に走ってくれている。
本当に家族のような愛情が沸いて来ています。
これからも、家族を色々なところへ運んで欲しいです。

車が好き、というより生活上の必要に迫られて運転免許をとりました。
運動神経の悪さが災いしてかなり苦戦、嫌な思い出だらけなので車にも運転には全く興味を持てませんでした。
そんな私がとある車に予想外の一目ぼれ。
日産のPAOという車で、大好きな水色でクラッシックカーのようにかわいい見た目でした。
調べてみると、限定車で数年前に生産終了とのこと、そうなるとどうしても欲しくなるのは人間の性でしょうか。
他の車には全く魅力を感じなくなり、目につくのはPAOばかりでした。
知人の車屋さんに無理を言い、オークションで中古車が手に入った時には、スキップしたくなるほど嬉しかった事を思い出します。
第一希望の水色ではなく、少し明るめのモスグリーンのような何ともいえない色でしたが、それはそれで雰囲気あり気に入りました。
外見だけでなく中身もクラシックで、パワーウインドウやキーレスエントリ―もなく不便でしたが、そこがまた愛着を持たせてくれました。

大好きな車の存在が人生を豊かにしてくれた晴れてお気に入りの車を手に入れ社会人1年生になった私は、初心者マークのついた愛車とともに通勤したり、行動範囲を広げました。
かわいいPAOは、どこへ乗って行ってもなかなか注目を浴び、話題のきっかけになったり、初対面の人にもよく顔を覚えてもらえました。
輝かしい20代を共にしたPAOも、数年で色々とガタがきてしまいお別れすることになってしまいましたが、私史上ナンバー1の車です。
私を車好きにしてくれたPAOのおかげで色々な体験をすることができ、苦手だった運転も今では趣味のひとつになりました。
人生を豊かにしてくれた初車のPAOに感謝です。